父親になる前は、その場所が自分に何を与えてくれるかで暮らす国を考えられました。仕事、教育、娯楽、生活費、快適さ。でも子どもができると、それだけでは足りなくなりました。

考えるようになったのは、「この子たちは、何を当たり前だと思って育つのか」ということです。

非常事態を、日常だと思ってほしくありませんでした。

恐怖を家族の習慣にしないための安全

ハリケーン・マリアの後、プエルトリコの不安定さは抽象的な話ではなくなりました。停電と悪化した雇用環境が、毎日の判断に入り込んできました。アメリカ本土にはもっと多くの機会があります。それでも、学校での銃撃事件を考えれば、「安全な場所」という言葉をそのまま信じることはできませんでした。

何も起きないと保証できる国はありません。日本も例外ではありません。それでも日本には、恐怖を子ども時代の中心に置かずに済む日常があります。

この違いは小さくありません。子どもは、大人が当然のように取っている予防策を見ています。どの公共空間なら自由に歩けると感じるのか。大人が学校についてどう話すのか。家族を囲む仕組みを信頼できるものとして見ているのか。そうしたことを、説明されなくても吸収していきます。

慎重さは身につけてほしい。でも、絶え間ない不安まで受け継いでほしくはありませんでした。

成績だけではない教育

良い教育は、仕事に就くためだけの通路ではありません。世界をどう理解するかを学び、自分が何者になるかを選ぶ余地を増やすものです。

僕自身の学問の道は、能力とは別の現実によって一度止まりました。プエルトリコで生物医学の博士課程を始めましたが、お金と育児の問題で続けられなくなりました。子どもを学校へ送り、放課後に見てくれる人がいなかったのです。能力だけでは、生活の仕組みまで解決できません。

その後、日本で働きながら、総合研究大学院大学で遺伝学の博士号を取得しました。この経験で、機会に対する考え方は完全に変わりました。才能は大切です。でも交通、育児、電気、時間、制度の柔軟性、そして難しい挑戦を支えてくれる人も、同じくらい大切です。

子どもたちには、可能性が生活上の事情に何度も押し負けないだけの安定した環境で学んでほしいと思いました。

親でも、人生のすべては設計できない

家族の計画には危険な思い込みがあります。親が正しい選択を重ねれば、子どもは苦しまずに生きられるという思い込みです。そんなことはありません。子どもは親とは別の人間です。僕には予想できない困難に出会い、僕なら選ばない道を選ぶこともあるでしょう。

僕の役割は、あらゆる障害を取り除くことではありません。避けられる障害をわざわざ増やさず、失敗しても家族の一員であることが揺らがない家庭を作ることです。

この考えには、大人になってから自閉スペクトラムと診断された経験も影響しています。筋の通った説明を得るまで、僕は多くの苦労を、理由が分からないまま進んできました。子どもたちがいつでも理解されるとは約束できません。でも家族の中で、違いを欠陥として扱わないことはできます。

快適さとは、余力があること

快適な暮らしがほしいと言っても、際限なく消費したいわけではありません。家電の故障、学校の用事、病気、難しい月が来ても、生活全体が崩れないだけの余力がほしいのです。

家族と過ごす時間があること。家族を傷つける仕事に「ノー」と言えること。一つの雇用主だけに暮らしのすべてを預けず、複数の収入源を持つこと。成功を見せるためではなく、選択肢を増やすためにお金を使うこと。

大学を離れる準備をしているのも、そのためです。僕にとってのリタイアは、生産的な仕事をやめることではありません。家族、好奇心、そして誰かの役に立つことを中心に、取り組む仕事を自分で選べる地点です。

子どもたちがいつか振り返る暮らし

子どもたちはいつか、日本で育てた僕たちの決断に反対するかもしれません。日本を離れ、別の国や文化に強くひかれるかもしれない。今は見えていない犠牲に気づくかもしれないし、「そこまでする必要はなかった」と思うこともあるでしょう。

それは子どもたちの権利です。

僕が与えたかったのは、決められたアイデンティティではありません。安全、教育、そばにいる家族、そしてその土台の上に何を築くかを自分で決められる自由です。